テノール歌手の大久保 憲です。3・11に被災した、私の叔父家族が住む釜石へ、いたって個人的に支援しておりましたが、この度「釜石応援隊」として組織化いたしました。今後とも変わらぬご支援、ご協力よろしくお願い申し上げます。
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大船渡〜陸前高田 その1
 
早朝パトロールから戻った我々は朝食をとり、
その日の活動を決めました。

高田にいく―

今回、私は取材目的が主だったので、
陸前高田まで足を延ばすことは想定内だったのですが、
30年前に行った遠い記憶のみの陸前高田が、
元々どんな風景だったかは思い出せず、
4月にどこかで見た週刊誌の写真の陸前高田を頭に想定し、
昨日日詰から持ってきた支援物資を積み込み、
叔父とこずえと3人で出発しました。

陸前高田は、叔父家族が30年前に数年住んでいた街で、
なかなか一般的にはお世辞にも有名な場所とはいい難く、
しいて言えば、7万本の松と
歌手の千昌夫さん、俳優の村上弘明さん
といったところでしょうか。
この震災で、皮肉にもその名前は全国区になりました。

高田までは沿岸の国道45号線をひたすら南下し、
途中、大船渡を通過します。歌手の新沼謙治さんが有名ですね。
釜石からは約60km、リアス式海岸の沿道なので、峠が多く、
思ったより時間がかかります。

運転中、左側(海側)をチロチロ見ながら走っていたのですが、
ことごとく津波を食らっているんですよね。
海ですから、「ここだけ」は無いのは当たり前なんですが、
改めて津波って本当に怖いんだな…と思いました。
南北600kmが、今回の被害範囲だそうです。
もう意味がわからない…。

国道45号線は途中、
大船渡三陸道路というバイパスもあるんですが、
今回は叔父の元同僚の先生や教え子に物資を届ける為、
行きは全て旧道で行きました。

ハーレーで走りたかったな…
この峠は、ドゥカティなら楽しかったな…

そんなことを一人ごちながら、峠を抜け大船渡市街へ入りました。

意外となんでもな…と思った瞬間、
港に近い場所が視界に入り、
例に漏れずここも壊滅なことがわかり、思わずため息。

しかし、トイレ休憩に寄った大船渡のローソンでは、
東京と同じように人が立ち読みをし、
子供がお菓子を吟味している風景があり、
東京と同じ店内BGMに何事もなかったような雰囲気と、
窓の外は瓦礫と倒壊家屋という風景に
不思議な違和感を感じながら先を急ぎました。


高田まではあと5〜6kmくらいかな…

200m縮尺でのナビを見てもまだ海がでてこない、
峠を抜け、おそらく本来は田んぼが広がるのどかな風景なはずの、
広い場所に出たところで、改めて言葉を失いました。


 つづく。
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 00:58 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
朝の釜石
 「文章を書く」
という一番苦手な作業、
なかなか手をつけられず申し訳なく思っています。
口でベラベラしゃべるのは得意中の得意なんですが…(笑)

到着して仮眠をとってから、
その日は記した通り日詰の倉庫に行きましたが、
やはり東京〜釜石の運転10時間はクタクタで、
その日は叔父の晩酌に付き合い、ゆっくりしました。

眠れない病は続いており、
2時間ほど読書しながらウトウトしていたら、
久々の地震。ああ…まだやっぱり…と思っていたら、
すでに6時。そういえば叔父は
「早く起きる」と言っていたことを思い出し、
部屋を出ると、叔父は準備万端。
早速、釜石市内のパトロールに出かけました。

こんな清々しい朝日と潮の香りは、本当に久々でした。
すっかり片付けられた主要道路を走り、
釜石港の南側へ行きました。

普段、ここは一般車が立ち入ることはできるのか?
と思うほど、閉鎖された感じの事業用港には、
人工的に作られた黒い台形の山がずらりと並び、
それが石炭であることは近くに行くまでわかりませんでした。

鉄鋼の街なんだな。と改めて思い、車を先に進めると、
地震と津波で破壊された港になにか違和感を覚えました。

海面が、地面とほぼ同じ高さなんです。

波止場に海水が上がり、
コンクリートの上をゆったりとさざ波が立っています。
一瞬、さっきの地震か…?と思いましたが、
それで津波が来ているようでは、すでに助からないな…と口ごもり、
それが地盤沈下によるものだと判ったら少しホッとしました。
実際、大問題なんですけどね。
これでは船が接岸できない。
満潮なのか大潮なのか、港に流れ落ちる小さな川やドブ川は逆流し、
意味を成さなかった防波堤の後ろ側は、
海水の水溜りがあちこちに見られました。

「帰ったら車洗ってな。」

そうだ…錆びるなこれは…
叔父の一言で、鉄鋼の街がどれだけ害を被ったか、
改めて思い知った感じがしました。


 つづく。
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 00:09 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
二度目の被災地 ―  日詰の倉庫

 
 


もう2ヶ月が経とうとしています。
月日が経つのは早いですね。
どおりで疲れが取れないわけだ。。。
年取ってきたもんだ…。


今回は、物資搬送というよりは、
現地取材というのが主な目的でした。

皆様から送っていただいている支援物資が、
実際にどこにどう届いて、
どこにどう渡されているのか、
直接見てくる事ができました。

お名前は随分と前から存じ上げていた気になっている、
佐藤悟先生とも、直接お会いすることができました。
悟先生も、物資の多さ、また、ご支援くださる方の想いが、
その物資の内容で本当に伝わってきて胸が熱くなります…
と喜んでおられました。


昨日、写真と動画は先に掲載したので、
ご覧になった方はもうお分かりだと思いますが、
紫波郡日詰の送り先は、
「元薬屋さんの倉庫」ではなく、
「元薬屋さん」でした。(笑)
それもずいぶんと大きな建物。
これなら10年分の物資を保管できるな…
なんて思うくらい。ハハハ。

この「元薬屋さん」倉庫は、文字通り薬屋さんですから、
街中の、それも商店街の中にありまして、
当然、隣近所は通常営業されているわけですが、
周りの人々が、いったい何をしてるんだろう?と、
疑問の視線を送ってくるらしく、
悟先生も苦笑されておられました。(笑)
そりゃそうですよね、
ヤマトが定期的に複数個のダンボールを配達しに来て、
中ではヒゲモジャの人が仕分けをしている。
元店舗ですから、当然、ガラス越しに中の様子は見れるわけで。
私が行った日も、なにか商売されるんですか?
という問いかけもされました。


しかし、実際の現場での作業は笑ってもいられず、
被災者、避難所からのリクエストに応える為に、
そこから吟味し、実際に車に搬入し、
現地まで運んで、それを手渡しする、という、
一連の作業を、それぞれがそれぞれ、ほぼ一人で行うという、
想像より大変な活動内容でした。

それでも悟先生は、
「大丈夫ですよ、ちゃんとやすんでますから」
「いやいや、好き好んでやってますから」
と、笑顔を絶やさず、
心からこんなに良い人っているんだな…と、
普段威圧的な態度をとっているといわれる自分が
ちと恥ずかしくなりました。

皆さんからの支援物資は、間違いなく、
現地の被災された方に届けられています。
とても喜んでいただき、また、涙を流しながら、
ありがとう、ありがとう、と何度も頭を下げられ、
正直、こちらが恐縮してしまうほど感謝されます。
疲れがいっぺんに吹っ飛ぶ感じです。

 つづく。

投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 23:50 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
緊急支援物資募集

いつもたくさんの物資をお送りいただき、
本当にありがとうございます。

現地より物資の「緊急リクエスト」がありました。

釜石は大松学園に避難してきた方への支援です。


長靴

 男性用 25.5 x1
 女性用 22.5 x1 24.5 x1 25.0 x1

作業着 M x1

女性用 下着 LL x4

女性用 下着シャツ LL x12

数字は、最低必要数だそうです。
釜石の養護施設で今日要望があがり、
現在の在庫数では数が足りなかった、
とのことでした。

ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、
直接私までご連絡いただけますようお願いいたします。

また、上記品目の在庫がなくなります。
ですので、多い分には大歓迎です。

よろしくお願いいたします。

投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 16:13 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
叔父との会話で。

連日、非常にたくさんの方から、
非常にたくさんの物資を、
それもさまざまな種類のものをお送りいただいております。
本当に、本当にありがとうございます。
叔父をはじめ、現地で動いてくださっている先生方、スタッフ、
すべての人間が、心より喜び、そして感謝の言葉を述べております。


叔父と今日、
物資について話をしましたが、
被災者の方々の必要とするものが、
刻一刻と変わるだけでなく、
一人ひとりの方の希望がさまざまになってき始めた、
ということでした。

避難所にも、たくさんの物資があり、
その過不足もだいぶなくなってきて、
思うより充実はしてきたようですが、
仮設住宅に移った人はいいのですが、
避難所にまだいる人は、
物資をもらってもそれを置いておくスペースがないということで、
欲しくても我慢したりしている人もいるようです。

ここへきて、本当にこれは一筋縄ではいかない、
という話でした。

ならばこちらから物資の発送はまたしばらく止めますか?
ということに対しては、
そうではなく、幸い自分達は保管場所を確保できているし、
腐ったりダメになったりするものでない、保存がきくものについては、
今後も必要であることは間違いないわけで、
全くもって困るものではない、是非送っていただければありがたい、
とのことでした。

では品目的には、その過不足については?
に対しては、
これもやはり、保管がきく以上、
これはいらない、あれは必要などということはなく、
いまはとにかく何でもお受けしたい、ということでした。

港、海辺での作業ですから、ウィンドブレーカーなどの薄手の上着も、
これから必要になるでしょう。
梅雨時期になれば、傘も必要になってくるでしょう。

従妹のこずえ(叔父の娘:Kozue PITT)も掲示板に書いてますが、
連日、しかも一日に何組もの葬儀が行われ、
さすがにそろそろ作業着で葬儀にでるのは憚る…
と大勢が言い始めたそうで、
これも、少しはゆとりができてきたのかな?と想像はしますが、
本当に何もかも流されてしまったんだな…と改めて痛感します。


私が現地から戻って一ヶ月が経ち、
いま現在現地がどのようになっているのか、
正直よく把握できていないところはありますが、
現地の話では、一ヶ月前とほとんど大差ないということでした。
仮設住宅や、道路整備は進んできたが、
相変わらず報道はされていない遺体の発見等はあり、
現地はあのまま時間が止まっているかのようだ、ということでした。
明らかに、被災地域とそうでない地域の温度差があると思います。

ただ、であるならば、
やはりこちらからの支援は間違いなく役に立っているはずです。


皆さん、
「なんとなく風化してきた過去の悲惨な記憶」
ではないのです。
もちろんそんなことは言わずもがなだとは思いますが、
現在も打ちひしがれた被災者が大勢いるということを、
今一度思い起こしていただきたいです。

本当に長い時間がかかると思います。
ここで終わってしまってはいけません。
でも、私達にも限界はあります。
少しずつ、できるだけのことを無理せず一緒に続けて下さい。
ご協力改めて心よりお願い申し上げます。

私は、連休明けに再度、現地に向かいます。

投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 02:21 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
1ヶ月が経ちました。

 コミュを立ち上げ、
はじめはどうなるかと思いましたが、
少しずつ、活用され始めました。
従妹も現地から書いてくれるようになり、
もちろんボクよりも「生の声」を、
お届けできるようになりました。

ブログなんぞも立ち上げ、
この日記を転載し、
こちらmixiの会員でない方へも、
ご覧いただけるようになりました。

いろんな、本当に多方面の方のご協力により、
たくさんの事ができております。
改めて心よりお礼申し上げます。
そればっかりで、本当に心苦しいです。

あの強烈な揺れから、1ヶ月が経ちました。
みな、それぞれの思いを日記やつぶやきに書かれていて、
私もなにか書かなければ…とこの数日思っていたのですが、
なんと書いたらいいのか、なかなか思い浮かびません。
今もよくわからない。
おそらく、まだ進めてないのかもしれません。

私は東京に住み、雨風が凌げ、普通に食事もし、
ある意味不自由なく生活していると思います。
お金は相変わらずありませんが。
ただ、なにかこう、あの日で止まっているというか…。
避難所にいる人たちと同じような感情なのでしょうか。
それともただ、感傷にひたっているだけなのでしょうか。

私は、被災してしまったのでしょうか。


叔父との話で、
被災者の人々が少しずつ、
仮設住宅や被害の少なかった自宅へ、
移り始めたそうです。
それに伴い、必要なものがだんだん変わってきた、と。
ええ、きっとそうでしょう、
プライベートを完全に失われた生活から、
また元のような生活に少しずつ戻られようとしている方々が、
避難所にいるときと同じものだけでは立ち上がれない、
確かにそう思います。

叔父に、では具体的になにを必要としているのか?と訊くと、
叔父は主に避難所に出向いているので、
全体を把握してはいない、と。
いま、少しずつではあるが、何がほしいかのリストをつくり、
記入してもらっているそうです。
また、避難所も、物資はかなり届けられているが、
その多い少ないにアンバランスがあることは否めない、
と避難所のスタッフ(コーディネーターというそうです)
に言われたそうです。

そんな状況を聞き、私には、
個々に何が必要なのかまでは、
叔父ひとりではフォローできない、
ということが伝わってきました。

ボランティアは、
「10時から15時までで送迎つき」
という決まりが行政で定められているらしく、
こちらが思ったようにフットワークが軽くない、
とも言ってました。

つまり、動ける人がいないんですね。。。

元気に動ける若い人手が足りない。

釜石は、本当に東北の小さな街です。
かつて新日鉄がその栄華を誇っていた頃は、
それはそれは賑やかな港町だったと聞いています。
しかしそれはすでに昔の話…
今はシャッター通りとなった商店街、
ひっそりとたたずむ旧新日鉄社宅アパート…。
若い人はみな、盛岡やその他の都市、
東京にもたくさん来ているでしょう。
従弟が結婚したときに数十年ぶりに訪れた釜石は、
新宿生まれの私にとっては、正直、衝撃的な街の姿でした。
でも、港や丘の上から見える太平洋は、
いつもキラキラ光る、本当に綺麗な海でした。
その海があの津波をよこしたわけですよね。


大変なわけだ…。
そりゃあ大変に決まってる。
避難所にも、若い人の姿は本当に少なかった。
本当にいる人だけでなんとか回そうとしていました。
叔父のように動いている人もきっと他にもいるでしょうが、
それでは間に合わないほど、
たくさんの人が被災している…。
生きていればまだいい。
同じような数の人が、
あのがれきの下に、港の海の底に
いまだに眠っている…。

「釜石の奇跡」などと、報道されてましたね。
小学生を中学生が手を引っ張って避難し、
全員無事だった、という話。
素晴らしいと思った反面、
え?これだけしか子供がいないのか?と率直に思いました。


私は叔父の命により、
支援物資を現地に送る手助けをしています。
しかし、みなさんにお願いしているだけで、他に何をしてるか…。
だから正直、ボランティア活動をしているといった自覚はありません。
「助けてやってる」といった意識も毛頭ないです。


物資が足りない。ええ、物資は足りないのでしょうが、
なにか、もっと違うことが足りない、
これだけの人が被災した今、
その人たちが少しずつだとしてもいっぺんに立ち上がっていくための、
「なにか」が根本的に足りない、
そう思えてならないのです。

でも、それがなにかはわからない。
しかも私になにができるわけでもない…。


いまは叔父が求めることを
できるだけかなえてあげたい、
それだけが今私の原動力です。

とりとめのない文章ですみません。

寝ます。

投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 03:35 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
釜石より
いま、叔父と話ができました。

先ほど、現地活動組が釜石にて話し合いをもち、
とりあえず活動期限を決めようとのことで、
来年3月11日まで、震災発生より一年間の活動、
とすることにしたようです。
もちろん、その時の状況、支援の具合などによっては、
期間延長も考慮してはありますが、
なにぶん期限を決めないと、
支援してくださる方にも迷惑がかかる、
とのことでした。
また、彼ら自体が被災者であり、NPO法人などではないため、
彼らのモチベーション維持の為にも、期限は必要かな、
と、私も同意しました。

活動範囲は、岩手県沿岸、
主な支援対象は、被災した障がい者、老人だそうです。
もちろん、実際に後片付けに追われる被災者に対しても、
必要なものを必要なだけ支援するというスタンスは変わりません。

また、自宅避難者についてですが、
以前までは避難所にいる人以外の人については、
避難所にある支援物資の配給はしてもらえなかったそうですが、
現在は柔軟に対応してもらえるようになったそうです。
(釜石での情報のみ)
避難所では物資も充実してきてはいるそうですが、
その物資の種類にアンバランスがあることは否めない、と、
避難所にいるコーディネーターは話したそうです。
また、避難所によって、前にも書きましたが、
未だに一日おにぎり1個、お茶1本のところがあるそうです。
いかがなものか…。

募金については、
やはり、寄付という形になるので、法律上難しいとの、
地元税理士、会計士のお話だそうです。
NPOとしての団体立ち上げは?との進言もあったそうですが、
やはりそこは、被災者が支援する訳ですから、
団体化した場合の組織としての健全な機能維持は難しく、
あくまでも個人レベルでないと続かない、という考えのもと、
やはり団体化はせず、このまま続けていくそうです。
ですので、募金、義援金という形での現金の受け取りは、
現段階ではできないであろう、という結論に達したようです。

しかし、問題もあります。
活動範囲はざっとみても東西200km、南北で300km
という道のりを動くことになります。
燃料価格の上昇、活動する人たちの食料不足等、
彼らはすべて「自前」でやっています。
これにはどうしたものか…
それこそいつまでも続けられることではありません。
こうしたところへ、「活動支援金」として渡す方法はなにかないものか、
考えさせられます。

今後は、この辺りのことも、熟考しなくてはならないかと思っています。
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 15:41 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
物資発送のお願い
 
昨夜はすごい地震がまたありましたね。
この先数ヶ月、いや、一年以上?余震と付き合うことになるのでしょうか…。

自衛隊や米軍、警察、消防、ボランティアといった力強い協力により、
早々に道路やインフラの整備は進み、元の生活を取り戻した人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は、まだまだ3・11で時間が止まってる感じだそうです。がれきも片付けがまったく追いつかないそうです。


昨夜は意外とすぐに電話がつながり、
仙寿院に避難している、と言ってました。
津波は結局小さなものでしたので、きっとすぐ自宅に戻れたでしょう。
しかし余震はずっと続いているんだと思いますが…。

既に支援や募金等の詐欺が横行しているようです。
こういうことをする人の気が知れません…。
こっちは必死でやってるのに…。

釜石は昨晩からまた、停電が続いているようです。
今電話したら、携帯の充電がなくなりそう、と言っていました。
叔父との連絡が滞りそうな気配です…。



さて、先日から一旦待って下さいとお願いしていた、
物資発送の件、
受け入れ先が整ったそうですので、ご案内させていただきます。
ご協力どうぞよろしくお願いいたします。

なにぶん、少人数での作業なので、
いくつか決め事がございます。
ご了承いただければ幸いです。



<物資の送り先>

028−3305
岩手県紫波郡紫波町日詰字郡山駅22−2
(いわてけんしわぐんしわちょうひづめあざこおりやまえき)

佐藤 悟(さとる)

電話080−5576−3995

==========================
※大変恐れ入りますが、物資の内容質問等、
 直接のご連絡はお控えください。
 先方も被災しており、多忙を極めております。
 ご質問は私、大久保までお願いいたします。
==========================


<発送方法>

ヤマト宅急便


<曜日指定>

月曜日・木曜日


<時間指定>

19:00

======================
※時間指定は18時−20時なので、
 品名のところに、
   「救援物資」
   「19時指定」
 と書いてください。
 受付の人には、
 現地で話はついてる、と言って下さい。
======================


です。

解説します。
この場所は、薬屋さんの倉庫だったところを
全面的に開放してくださったそうです。
ここへ物資を一時保管し、仕分けし、それぞれの避難所等へ、
佐藤先生をはじめ、仲間の工藤先生や他の先生方、それと叔父が、
手分けして直接運ぶそうです。

運送会社、配達時間指定を一本化したのは、
その曜日、時間に誰かが必ずその場所へいき、
荷物を受け取る為だそうで、
ヤマトとも打ち合わせをし、話をつけたそうです。
ですので、曜日と時間指定を必ずご記入ください。


また、そういった訳ですので、
前回のように一つひとつの送り主情報の管理が、
どのくらいできるかわかりません。
私の方でも、番号をいただき到着確認をする程度しか、
管理できません。
一応、到着した伝票から、
ご発送下さった方のデータ管理はするよう、
お願いはしておきますが、
その限りではないことをどうかご容赦ください。


●仕分け作業簡略化のため、物資はできるだけ同じ種類のものを

●外箱には赤字で「救援物資」の文字と内容物の明記を

●ヤマトで月曜日か木曜日の19:00到着指定で発送

でお願いできれば大変助かります。


長期的な支援になります。
私たちに余力がないと、続かないことだと思います。
本当に無理のない範囲でお願いいたします。

また、送り先情報等、
周りのお知り合いなどに拡散してくださって結構です。
(この日記は友人の友人までの公開にしてあります)
一人でも多くの方のご協力をいただければ助かります。
もちろん無理のない範囲で…。

どうぞよろしくお願いいたします。


大久保 憲
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 14:28 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
釜石より
 
しばらく更新できていません。

予定している支援物資のルートが、
未だ準備中とのことです。

今日の話では、
盛岡の南20kmほどにあるところのビルを、
物資の保管場所として全面的に借りられることになりそうだ、
とのことでした。

現在、叔父と教員時代の仲間達が、
躍起になって確立と始動に向けて煮詰めています。
時間がかかっているのはやはり、
現地でサポートすると立ち上がっている人たち、
自分達が「被災者」なわけですから仕方ありません。。。

自分達の生活もままならぬ状況での立ち上げなので、
どうしても一つひとつやらなければならず…。
ただ叔父は、「長期戦になるので、慎重にいきたい」とのこと、
確かに勢いだけで立ち上げれば、いつかコケる可能性がありますしね。

ということで、今しばらくお待ちいただき、
立ち上げ後には、皆さまにまた、
多大なるご協力をお願いいたしますので、
どうぞよろしくお願いいたします。


従妹(叔父の娘ですね)から、
皆さまからお送りいただいた物資の伝票の、
集計一覧が届きました。
全ての荷物が届いておりました。
本当にありがとうございます。

手紙が添えられておりました。

その中に、現在の状況が書かれておりました。

 ―中学校の避難所に行きましたが、
 「昼食は、ビタミンの入ったペットボトルの水とクラッカー」
 ということを目のあたりにし、何とも言えない気持ちになりました。
 「朝食は、白い飯の中身のないおにぎりとお茶だけ」
 だったそうです。
 避難所によって格差が有り過ぎ!!です。―



どう思います?



ボク達は、本当にたくさんの物資を送りました。
確かに皆さん、心から喜んでくれてました。
涙ながらに、何度も何度も、ありがとう、ありがとう、
と、例をいう老人もいました。


でも…。結局これですよ。

食べないと、人は死ぬんですよね。
寒過ぎても、暑過ぎても、死んでしまうかもしれないけど、
食べなければ、確実に死んでしまう。
や、食べてないわけじゃない、クラッカー食べてる。
水も飲んでる。白飯のおにぎりもお茶も…。

これは、支援されている被災者なんでしょうか?
ン千億円という義援金が赤十字にある?

それが届くまで、あと何人死んでしまうんだろう…?
政府は、そんなこと考えてないとしか思えない。


自粛?

自粛する必要はない?
経済をまわせ?
花見はするな?や、花見はしたほうがいい?
関西は平気なんだから元気に活動しろ?
放射線物質?素人がなにかできるの?


なんにも終わってない。
まだ、なーーーーーーんにも終わってない。
事は始まったばっかりで、緊急事態、非常事態であることには、
なんら変わりない。

チャリティコンサートや募金活動、
支援物資の送付、ボランティア活動、
いいことだと思います。
人ひとりができることなんて、ほんと小さなこと。
だから、どんどんやった方がいい。
そうすれば束となってきっと大きな力になるはず。



ただ…


やろうとする人にお願いしたい。


いま、今の今、死んでしまうかもしれない人が、

たくさんいるんです。本当にたくさん、この日本にいるんです。

ボクは、見てきたんです。

この目で、その苦しさ酷さ、理不尽さを見てきたんです。

ボクが見てきたところから、たくさんの遺体が見つかってます。

あそこに埋まってる人がやっぱりいたんだ…

見てきただけじゃない、五感すべてで感じてきました。

今生きている人も、体力的には平気でも、

気持ちが死んでしまってる人もたくさんいるんです。

そのことを、絶対に忘れないで下さい。

その支援活動をしているとき、その人たちの辛さ、苦しさを、

しかと思いながらやってあげて下さい。

本当にお願いします。


ボクは…ボクは本当に何もできないから…
悔しくて悔しくて苦しい。辛い。

戦場に行って、死にそうな人を見捨てて、
逃げて帰ってきてしまった。
そんな気持ちでいっぱいです。

この先自分に何ができるのか…



なんだかわからなくなってきたので、寝ます。
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 03:33 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
本日の入電
 
先ほど釜石の叔父より連絡が入りました。

独自支援ルートの構築状況ですが、
新たに物資保管場所等のお申し出をいただいたそうで、
少しプラン変更の為、もう少し待っていただきたい、
とのことでした。

今日も避難所の方へいくつか物資をお配りし、
本当にみなさん喜んでいらっしゃるようです。
私としても、ホッとしています。


皆様からお送りいただいた物資は、
ほぼ叔父のもとへ到着いたしました。
1件だけ行方不明のものがあり、現在調査中です。

ヤマトが宅配を再開した、との情報もあり、
今後の発送方法のお願いにも、
若干変更が出てきそうですね…。

今日の話では、
瓦礫の撤去作業だけではなく、
街中がホコリだらけで、いよいよ外を出歩くのが大変になってきたようです。
確かにもの凄い土の量だったので、
乾いてくれば舞うことは想像に易いところです。
古い建物も倒壊してますので、
アスベストもかなり舞っているだろう、とのことでした。
怖いですね…。


で、防塵ゴーグル?メガネ?を送って欲しいとの話しがあったので、
結局ヤフオクでみつけ、明後日くらいには送る予定でいます。
もし、同梱発送を希望されるものがございましたら、
私までご連絡ください。


本当に、日に日に必要なものが変わってきますね…。


それからお詫びです。
私の書いた日記にたくさんのコメントをいただいております。
気持ちとしてはひとつひとつお返事を書きたいのですが、
とても長くなってしまい、私のレスばっかりになってしまうので、(笑)
ここは皆さんのコメントを読み、心から感謝し、お礼申し上げますが、
お返事は割愛させていただいております。

あまりのショックで、コメントを控えてらっしゃるという声も聞きます。
本当に壮絶な現地の話ですので、確かにリアル過ぎて、
ちょっとご気分を害されることもあるかと思います。
改めてここにお詫び申し上げます。

また、写真ですが、
一部車のナンバー等、個人情報が入っているものもありますが、
いまは個人情報保護の観点から、
車等のナンバーで個人を特定することはできません。
ですので、写真自体、私(と弟)の撮った写真でありますし、
コピー、再配布していただいて構わないかと思います。。
この期に及んで、悪用される方もいらっしゃらないと信じておりますので…。

もし問題や私の誤認識等ございましたら、ぜひご指摘ください。

どうぞよろしくお願いいたします。
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 23:57 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |