テノール歌手の大久保 憲です。3・11に被災した、私の叔父家族が住む釜石へ、いたって個人的に支援しておりましたが、この度「釜石応援隊」として組織化いたしました。今後とも変わらぬご支援、ご協力よろしくお願い申し上げます。
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釜石市民体育館
 


体調不良は単なる花粉症?
鼻の奥がヒリヒリ痛くて、ボーっとしてます。


ボク達は尋ねた人が釜石市民体育館に移っているのを聞き、
ぶら下がった2台の車を後に、
そちらに向かいました。

その人は、
ボクのある友人(マイミクさんの一人)の依頼で、
彼のお父さんの親友とその家族でした。

すでにその方自体は、避難者名簿にて「不明」となっていたので、
尋ねたのはそのご家族の方なんですが…。

避難生活を続ける子供達の無邪気な声が響く体育館の受付で、
名前を尋ねると、確かにここにいることがわかり…
ただ、ボクはその人の顔が判らなかったので、
職員の方の後について、中に入りました。

先にいった旧一中に比べ、とても大きな体育館。
さすがは栄華を誇った旧新日鐵体育館だなぁ、と。
しかしそこに広がる光景は酷いものでした。

既に寒い。

旧一中での第一印象は、意外と暖かいだったのに…
広いからでしょう、これはまいったな…というのが第一印象。
しかも人が多いんです。なのに寒い。
人が多い分、旧一中のように、なんとなく隣との見えない線があるわけでなく、
完全に布団も隣り合わせ、枕も頭どおしで向かい合わせ。
これでは本当にプライベートもへったくれもない。
こんな環境に数週間いなくてはならないとなったら、
自分は正常な精神状態でいられるのか…
瞬時にそこまで考えました。

職員の方に、こちらがご家族の方と紹介されたのが、
一人の老婆でした。

こんな時に、こんな状況で、
見ず知らずの、しかもヒゲでポニーテールのおっちゃんが、
いったいなんだろう?
もろ顔にそう書いてありました。
当然ですよね。

ですんでボクは、一言ひとこと、
かみ締めるように事情を話しました。

結局その老婆が、ご家族のなかのどのポジションの方なのかは、
最後までわかりませんでしたが、
探していたご家族に間違いなく、連絡先を交換してその場を後にしました。

話では、友人のお父さんの親友は、
皆に止められる中、その老婆を車で引き上げるために戻り、
車ごと流されていったそうです。
ここにもまた、目の前で肉親が流されていくのをみた人がいました。

どんな気持ちになるのだろう。
目の前で、自分の身内が、津波に流されていく…。
考えただけでも恐ろしくなる。
犬がいなくなっただけでも大パニックだったのに。

そんなわけで、
今回の釜石行きのオプショナル・オペレーションも完了し、
大只越町に戻りました。

あ、その前に、その日2回目の佐川引き取り、
ヤマト引き取りには行ったんですけどね。
朝到着時はみぞれ交じり、
昼過ぎからはピーカンで晴れ、
ヤマトに着く頃からドカ雪になりました。
天気さえもコロコロ変わり、その際にもずっと小さな地震を感じていました。


あとちょっとだけつづく。
投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 02:22 | コメント(2) | トラックバック(0)| - |
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コメント
本当にありがとう! 限られた時間の中で自分のために動いてくれた事は絶対に忘れないよ! ありがとう!
| Ebihara Masamichi | 2011/04/10 11:53 PM |

とんでもない!
完璧に素晴らしい状態での情報を持ち帰れず、
残念に思ってるよ。。。

どんなかたちであれ、見つかるといいんだけど…。
| Lucky J | 2011/04/12 2:29 PM |










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