テノール歌手の大久保 憲です。3・11に被災した、私の叔父家族が住む釜石へ、いたって個人的に支援しておりましたが、この度「釜石応援隊」として組織化いたしました。今後とも変わらぬご支援、ご協力よろしくお願い申し上げます。
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帰り道 − あとがき
 

 
大只越町の叔父の家に着いたときには、
すっかり雪景色。
帰りの運転にちょっと躊躇もあり、
仮眠を取ってから出発することに。

もちろん、泊まって次の日帰ることも想定にはありましたが、
残務整理もあるし、被災地に長く残るのは迷惑千万ってことで、
早く戻ろう、と。

行きに一緒に乗ってきた従妹(叔父の娘ですね)は、
釜石に残ることにしたというので、
釜石での連絡係に置いてきました。
アメリカに残してきた旦那や旦那家族には説明したみたいだし。

さすがに疲れたのか、瞬時に眠りに落ち…
と思ったら例の地鳴りです。
ゴォォォォォと聞こえ、体が響いたらガタガタ…震度4だったかな。
もうホントに怖い。東京で感じる震度4より怖い。

そんなこんなで、大きめの地震で最後の挨拶をされ、
釜石をあとにしました。


しかし…。

そんな簡単に帰してはくれない東北。
東北道までの道のりは、氷点下の峠。
いくらスタットレスを履いていても、
滑るものは滑ります。
しかも、こともあろうに、車のヒーターの調子が悪くなり、
車内は相当寒かった…。
道の視界は1〜2mほど。
冷凍庫を開けたときに出てくる白い冷気のような霧に、
全く先が見えない。だから凍ってるかどうかも、
滑ってからでないと判らない…。
間違えれば、崖。

こんなんじゃ、心配していた山賊とやらも出ないな、外にいられないもの。
なんて弟と笑いを作りながらやっとの思いで高速に乗り、
持って行った60リットルの軽油を給油しようと、
花巻のパーキングエリアに。
すると、20リットルx3缶のうちの1缶がなぜか開かない。
ぜんぜん開かない。
工具もなく、周りに誰もいない。
とりあえず40リットルは給油した。
もうこぼれても仕方がない、できるだけ入れようと、
なんとか小さなキャップを開け、そこからポンプで給油。
5〜6リットルくらいいれただろうか、
もう寒さの限界で撤収。出発。
時計をみるとこの給油騒動で外にいたのは30分ほど。

こんな寒いところに、あの人たちは寝泊りしてるんだ…
屋外じゃないにせよ、ロクな暖房もなしに、
体育館で寝泊りって…足の指の感覚、既にないし。


途中、安達太良SAで一息休憩して、
外に出てから…あ、ここフクシマ?って。(笑)
どーりでだれもいないわけだ…ナビで地図見たら、例のとこのほぼ真西。
なんミリシーベルト、くらいましたかね。(笑)

実は結構なサバイバルは、帰り道だったのかもしれません。



と、いうわけで、

26日01:30出発→08:30到着
22:00出発→27日06:30到着

というハードな行程でしたが、行ってまいりました。

「とんでもない経験をした」

というのが、最終的な感想です。

自分の無力さ、ちっぽけさを痛感し、
人間って結局なんの為に生きているのか
なんて考えてしまったり。
だから、できることはできるときにやろう、
今はやっぱりそう思っています。

壮絶な、悲惨な現状はこの目で見てきました。
きっとこの先、彼らは必ず復活します。
原発、どうなるか分からないけど…。

でも、よく考えてください。
まだ今は「過去の話」ではない。
既に終わった話ではないんです。
いまのいま、疲弊して死んでしまうかもしれない何千という人が
現実に日本にいるんです。本当にそこにいたんです。
だからボクは、できることを無理せず続けていこうと思っています。


皆さんの心には、写真も含め、どう響きましたか…?

投稿者 : Lucky J | 釜石関係 | 03:05 | コメント(0) | トラックバック(0)| - |
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